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2009 06,14 |
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自由でいるという生き方は、難しいものだ。これまでに考えてきたよりかも、ずっと。 と、曽良は思った。思っていた。 「曽良くんは、いいよね。自由でさ」 「そうでしょうか」 だから、師の無責任で無神経な言葉が腹立たしかった。なにせ彼は、曽良という人間の生き様が自由ではないという現実と、決して無関係ではなかった。 少なくとも曽良自身にとっては。 「芭蕉さんこそ、いいですね。見るからに自由で」 「そうでもないよ」 「好き放題でしょう」 「……君がさせないくせに」 「するくせに」 自由でいるという生き方は、難しいものだ。これまでに考えてきたよりかも、ずっと。 と、芭蕉は思った。思っていた。 もっとも自由であるということは、考えようによってはひとつの苦痛でもあるのだ。 だから、これで良いのかもしれない。芭蕉の生き様はしあわせなものであるのかもしれない。好き放題に手綱をにぎってくる曽良がいるものだから、芭蕉という人間は決して自由ではない。孤独でもない。心臓の鼓動のようにしてやってくる苦痛は、しかし永遠ではない。苦痛ばかりでも、ない。 曽良がここにいるものだから。 (……だなんて。絶対に思ってやるもんか) 「芭蕉さん」 「なんだよ」 「念のために言っておきますが、『させない』のはいつだって芭蕉さんの方なんですよ」 「そんなわけないよ」 「なかったんですか。自覚」 「曽良くんこそ。自覚はないの?」 「芭蕉さんには、そんなことを問う資格がありません」 (……おかげだとか。絶対に思ってやるもんか、ムカつくんだから!) 自由でいるという生き方は、難しいものだ。けれども自由になるだけ、それだけのことであれば、容易いのかもしれないとふたりは思う。思っている。 両手を放して離れてしまって、あとは意識から追い出してしまえば、きっといつでも自由になれる。きっと容易いのに違いない。 「曽良くん。お昼におにぎり食べたい」 「僕は食欲がありません。素麺を出す店を探してください」 「おにぎり! おにぎりが出ない店だけは受け付けんぞ!」 「芭蕉さんが探してくださいね」 「曽良くんが探してよ。君、弟子だろ?」 「僕にはもう、素麺しか見えない……予定なので」 「そんな言い訳あるか!」 自由でいるという生き方は、難しいものだ。けれども自由になること、それそのものは容易いのかもしれない。もしかすれば。 本当に容易いのかどうか、ふたりは知らなかった。 ただ、手放すことなど容易いのだ、というふりをしている。 実際のところは解らない。本当に手放してしまったことも、欠片も残さず追い出してしまったことも、思い返してみれば未だになかった。道を違えようと決めたこともあったが、決めたはずであったというのに結局は元に戻ってきてしまった。 おとなげもなく腹を立て、相手の主張を跳ね返し、それでもふたりは互いを自由にしないのだ。 自由でいるという生き方は、難しいものだ。 しかし幸いなことに彼らは不自由であった。そして、不幸ではなかった。 書こうとしていたものがなかなか進まなくて、そうしているうちに関係のないネタを思いついて、そのまま小話にしてしまって、よく解らないものができあがりました…… 一緒に旅をして、ボケて、ボケ返して、暴れて、喧嘩したりもして、それでもなんだかんだで途切れないままで……と、日和の曽良くんと芭蕉さんはやっぱり好き放題に不自由を満喫している のかも知れない PR |
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2009 06,13 |
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曽芭、あるいは曽芭曽っぽいかも解らない短文(おりたたみ)
くじけない芭蕉さんが曽良くんを意識している雰囲気で、なんだかポエム風味です。よく解らない感じで恐縮です、が、よろしければお時間つぶしに……! |
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2009 05,31 |
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下に小ネタを畳ませていただいております。もしお時間がありましたらば、ご覧になってやって&笑ってやってくださいませ〜 変なスランプが継続中で、勢いに任せてみたというかどえらい意味のわからない内容ですみません……曽良くんと芭蕉さんがお互いのことを安心毛布だと思っていたら、お互いの袖を咥えあっちゃったりするのかなみたいなそんな妄想から始めました。
リハビリをしています……松尾搾りを書きたいです。超眼福な曽良くんという生き物×猫という名のハブを拝見させていただいてエネルギーをもらったから、私はいける(といいな)! オフラインの原稿もそろそろ頑張らなければです。9月のオンリーでスペースを頂けたら個人誌と、あと場違いにて恐縮ながらプチアンソロ企画様にもお声がけいただき……! そしてインテにも参加したいという夢だけは見ていました ガンバレ本当に有り難うございます! お言葉にも後日、こちらかメールにて御礼させてやってくださいませー! (曽芭or芭曽で攻受不確定ですが、女性向け表現を含みます) |
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2009 05,28 |
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2000字ぐらいになってしまった曽芭をたたんでみました。
なんだかねっとりいちゃつく師弟ですが、よろしければ下のリンクからご覧になってやってくださいませ。 ・くっついているふたり ・やま、いみ、おちは行方がわかりません…… |
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2009 05,25 |
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「曽良くん」
ぼんやりと、己の名を呼ぶ男の声が聞こえてくる。 「曽良くーん。そろそろ休まないかー」 背後からだった。曽良の背中に力なくぶつかっては、ぽてっと勢いをなくしてしまう。 「休もうよぅ」 へろへろとした声色だ。 「今日になってからもう、七度目です。芭蕉さんが休みたがるのは」 「そのうち本当に休ませてくれたのは……二回だけじゃないか。その愛想のなさ、どうにかならんの……」 「芭蕉さんもその、飽きっぽいところをどうにかしたらいいんじゃないですか」 「飽きてないわい。疲れたんだよッ」 「そうですか……」 「……そうだよ」 「弱ジジイ」 「休ませろ!」 ぶうぶうとうるさい。 曽良は振り向いてやることすらもしないまま、背後で弱音を振り絞っている師の性分についてを考え始めた。 芭蕉はとにかく子供のような男であるから、好き嫌いも激しい。甘ったるくて、楽で、体には悪いようなものばかりを好む。都合のいい方向だけを選びとって道を進むことに躊躇がない。 (ほぼ、まったくと言っていいほど……ない) たとえば、面白そうなものを見つけたからと言ってはすぐに寄り道をしたがるのが芭蕉だ。そこで飽きるまで体力の無駄遣いをする。 物売りのひとりでも見つければ、金の無駄遣いもしたがる。そうして買うものが食べ物であったりするとなお悪い。大食いをして、後になってから腹が重いだの痛いだのと言い出す。 芭蕉はとにかく子供のような男であるから、まずは本能を優先するわけだ。 やりたいと思ったことはすぐにやる。そのくせ、あっさりと飽きてしまう。そうして飽きてしまったはずが、また執着を始めることもある。あるいは結局、平然と手放してしまったりする。 (旅が好きなので、旅をする) 旅をするためにも身軽である。身軽になる。 (いや。生まれもって身軽だからこそ、元より旅に向いた男なのか) 旅をすることによって得るものもきっと多々あることだろう。 例えば彼は、旅のうちに様々な句を詠んできた。 「だいたい私なんかっ、ちっとも飽きっぽくないんだよ? むしろ根気づよい方っていうか、俳句ノートだってこんなに作ってるし……」 「いちいち覚えてるんですか。これまでのノートの中身を全部」 「覚えてるよ!」 「本当に?」 「覚えてるとも! この旅の中で詠んだ句、通った道、あった景色、さわったもの、喋った人……」 「ぜんぶ?」 「思い出せるさ。見たんだから」 だって私は見たのだから、と彼は言う。 確かに忘れるようなことはないのかも知れない。彼が紡ぎ出した句の数々、それ以上に数多の句になっていない言葉の羅列、すなわち彼がこの旅に求め、出会うに至った何もかも。 けれども、飽きることもまた有り得ないのだとどうして言いきれる。 なぜなら芭蕉は子供のような男であるから、想像に足る思考と行動だとか、それらしいお情けだとか、やり取りのしやすい呼吸の調子だとか、とにかくは常識のままの喜怒哀楽だとか、そういったものをいっさい期待できないのだ。 まずは本能を優先する。そうしてまたいつにでも、疲れたとか飽きたとか、もう詠めないとかもう要らないとか、やめようとか言い出すのだろう。あるがままを受け入れることのできる男はあるがままを投げ出すかも知れない。いかようにでも。 (この旅に飽きたとすら言い切ったくせに……) いったいどの口をもって、根気づよい方だなどと名乗ろうものか。 彼が自らこの旅を捨ててしまうようでは、どうなる。 『俳句のための』旅であるからこそ引っぱり出されて、私情もそこそこに同行してやり、『俳句のための』旅であるがゆえに何かと調整をしてやるものの、よりにもよって「俳句を詠めない」のだと嘆かれることも度々。その面倒をみてやっている人間の立場はどうなるのだ。 (ただの弟子を十人ほどつかまえてきても、こうまでは働いてやるまい。どんなに甘やかそうが……これほどには) よくも偉そうなことばかり、この僕に対して寄越してくれる。あなたの方から始めたこんな旅に対してすら、飽きたのだと言い放ってしまうくせに。 「曽良くーん! だから休もうってぇ!」 芭蕉が芭蕉であるために、思えば思うほど深みへと嵌っていく曽良は、その芭蕉当人からの訴えを静かに気持ちよく聞き流した。 ぶうぶうとうるさくはあるものの、どうやら彼に未だ立ち止まってしまうような気配はない。 ガマンはしない主義的な芭蕉さんを書きたいと思う→トレジャーハンターの件をなんか根にもつ曽良くんになる それにしても「旅に飽きた」だなんて、ある意味「お前との旅はもういいわ」宣言にも近しく聞こえるんじゃないかと思うと……芭蕉さんったらなんてことを! しかしトレジャーハンターになろうが曽良くんとは一緒に旅するつもりの乙女心、いやオッサン心を思うと……芭蕉さんったらなんてことを! 河合のハートがトレジャーハントされてしまうじゃないですか。もうされているという説もありました。松尾芭蕉は生まれついてのトレジャーハンターだったんですね。 芭蕉さんは別にそこまで身軽でもないし、悩みがないっていうわけでもなくて、曽良くんだってそんなことは知ってるんだけど、まあ拗ねてみたりもして、なんだか結局はお互いへ意地っ張りになる両片思い合戦とか 妄想しました 5/22って曽良忌だったんですねーわああ……そしてそういえば、もうすぐ6/1〜3も来てしまうじゃあないですか。曽良くんと芭蕉さんのキノコ記念期間じゃあないですか……! 芭蕉さんの体へよくないキノコが強引に入り込む→かわいそうな風流さんと、かわいが苗字の曽良くんを巻き込んで松尾ハッスル大戦→曽良くんが絶妙なタイミングで解毒キノコを持ってきてくれる→そのまま風流さんのお宅で二回もの夜を過ごしてしまう→そして二回目の夜が明けた朝、マーフィーくんの中身が発表される→綿だった→涙の最上川→かわいそうな船頭の兄ちゃん&その妹と、かわいが苗字の曽良くんを巻き込んで第二次松尾千手観音大戦 とかいう奇跡のような三日間がやってくるぞー こんな奇跡を起こしたのは誰だろう それは俳句の神様だ(魔王風) サンバのリズムで誰かがついてきてるから、六月一日はキノコ記念日。字余りすぎる FF6のトレジャーハンター、ロックの嫌いなものがキノコだったことも思い出されて増々テンションが上がります。芭蕉さんがトレジャーハンター=ロックだったら曽良くんは……もうロック以外の全員でどうだ! ロック以外は全員曽良くん・FF6細道! 十人を超える仲間達もケフカをはじめとする強敵も全員もれなく曽良くんです。トレジャーハンターマツオ超ピンチ。 ダンチョー風流、ウラカタ素英、大臣役清風でオペラ座イベントもおいしく妄想できました。ドラクゥ曽良とマリア芭蕉と、ラルスマーフィー? 曽良くんとマーフィーくんで芭蕉さん取り合って「けっとうだー♪」ってそんなオペラ……!(めちゃくちゃ他ジャンルですみません) ガンバレのお気持ち&お言葉、ありがとうございますー! アドレスをくださった方には現在、すべて返信させていただいておりますーっ |
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2009 05,18 |
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うっすらと開いた両眼の視界に、緑が生い茂り広がっている。 寝転がっていれば空にはお天道様でも見えようものだが、取り囲む木々が邪魔をしてくれるおかげでそこまで眩しいこともない。陽光は木漏れ日になってきらきらと降り注いできていた。 (眩しいことはない……) たしかに眩しいことはないのだが、しかし、はっきりともしない景色だ。 寝転んだままで見上げる世界には、木の枝と木の葉とが散らばっている。漏れてさす光が隙間を埋める。その木漏れ日は優しいながらに、枝や葉の輪郭をぼやつかせていた。 (今にもすべてが混ざり合いそうだ) 陽光を浴びる葉の色は彼の、着物のそれに。枝の色は彼の、髪の毛のそれに。ひどくよく似ている。 今にもすべてが、溶けてしまって混ざり合っていくかのようだ。 寝転んだままで見上げる世界に包まれ、両眼をうっすらと開いたままで考える。溶けてしまいそうな景色なのだから、もしかすればもう溶けてしまっているのかも知れない。溶けてしまっているのだとしたら、あの陽を浴びた葉と枝の色はなにものであろうか。 ひどくよく似ている。例えばそれが、見間違えではないのだとしたら。 彼はもう既にここに在るのだろうか。この狭い世界を、溶けいるようにして覆っているのだろうか。 すると、弾んだ囁き声が聞こえてくる。 「まだ、ここにいるの?」 彼のものであった。 「……そちらこそ。いつまで、そうしているつもりですか」 「君が飽きるまでさ」 ならば、元に戻れなくなったとしても後のことは知りませんよ。 曽良はそうして言葉を打ち切ると、うっすらと開かれたままであった黒い両眼を閉じた。 木漏れ日に溶けて混じることを始めた枝と葉が、どこからともなく吹いてきた微風にくすぐられる。その風は草の匂いとともに曽良の意識を熟眠へと運んだ。 また、軽やかに笑う囁き声が、聴覚を跳ね回りはじめる。 スランプに陥ったようで書きたかったお話が進まなかったので、関係ないものを書き始めてみたらやまいみおちが……勢いだけはありました…… 芭蕉さんには木漏れ日がよく似合う 気がする 木漏れ日といえば家の近くに大きな公園があるのですが、この時期には緑がきれいです。遊び場の中に手作りアスレチック風味の(板とか縄とかむき出し的な)空間があるのですが、その周辺がいつでも土と焚き火の匂いに溢れていて、なんというか非日常に迷い込んだかのような感覚を与えてくれます。 なんとなく「日和曽良くんの『芭蕉さんとの旅』って毎日がこんな感覚なのかなー』って妄想したりして……公園でまでお前! すぐお隣は大きめの図書館、駅の近くでもあるというナイスな環境です。最近にはその近くのドイツ菓子店でサンドイッチみたいな苺のミルフィーユを買いました! 次の機会にはグレープフルーツの丸ごとゼリー(でっかい)を買ってみたいと思います。あれはスイカを丸ごと食べるみたいな、こう、冒険心と野望が疼く……! デザ……スイーツ的なあむぁーいものとか大好きです。一緒に食べに行ってくださる方を常時募集しています(せんでいいっていう) ガンバレありがとうございますーっ 返信不要の方へも心より感謝をっ……! |
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2009 05,15 |
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※ この記事の小ネタにはケンジ×藤田の要素が含まれております。 ケンジという名のその少年は人間である。 藤田という名のその少年は人間である。 ケンジという名のその少年はただの人間である。 しかし、藤田という名のその少年はただの人間ではない。 藤田という名のその少年はただの人間ではない。 ただの人間ではないが、ただの物の怪でもない。 藤田はただの人間ではない。 ただの物の怪でもない。 藤田は人間である。藤田は、人間ではない何らかの物の怪である。 藤田はただの人間ではない。どうしてただの人間ではないのかというのが、藤田自身にもよく解らない。 よく解らないのであるから、そうであることを望んだというわけではない。 藤田はただの人間にはなれない。 ただの物の怪になるつもりもない。 そのどちらにもなりきれずに、たったひとつだけの秘密を抱えて平然と生きていくつもりでいる。 たったひとつの秘密というのは、たったひとりのために在るものだ。 だから藤田は秘密を抱えて生きてきた。 だから藤田は、抱えてきたはずの秘密を手放した。 手放したその秘密はしかし、決して失われたわけではない。契約に姿を変えて今でも生き続けている。 契約はひとりきりでは結べない。 満月の夜が終われば藤田の姿は元へと戻る。ただの人間のような姿へと戻る。 しかし、契約に姿を変えたかつての秘密が、元のようにただの秘密へと戻ることはない。 たったひとりのものではなくなったそれが契約でなくなる日は訪れない。 例え『ふたり』のうちのどちらかが失われようとも、契約でなくなる日は訪れない。 藤田は自ら秘密を捨てた。たったひとりのためのそれを捨てた。 藤田はただの人間ではない。そして、ただの物の怪でもない。 藤田は人間である。藤田は物の怪である。 どちらでもない。どちらともいえる。 ケンジという名のその少年はただの人間である。ただの人間であるから、物の怪ではない。 どちらかでしかない。だから藤田とは異なっている。だから、藤田とも同様である。 ふたりは、たったふたりのためだけの、ただの契約を結び合っている。 藤田はケンジの親友である。 親友の絆もまたひとりきりでは結べないので、つまりはケンジも藤田の親友である。 どちらでもあり、どちらでもないもの。どちらかでしかないもの。 秘密であることを忘れた契約。 親友。 真実はたったこれだけしか見つからない。けれどもたったふたりのためには、これだけで充分に過ぎるほどだ。 ずっと以前のボツネタが発掘されたので、調子に乗って出してしまいました……! 勢いだけで書いてみて、こういった感じのものを色々なカップリングでやりたい! とか思っていた時期がありました…… |
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