2024 11,26 |
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2009 06,14 |
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自由でいるという生き方は、難しいものだ。これまでに考えてきたよりかも、ずっと。 と、曽良は思った。思っていた。 「曽良くんは、いいよね。自由でさ」 「そうでしょうか」 だから、師の無責任で無神経な言葉が腹立たしかった。なにせ彼は、曽良という人間の生き様が自由ではないという現実と、決して無関係ではなかった。 少なくとも曽良自身にとっては。 「芭蕉さんこそ、いいですね。見るからに自由で」 「そうでもないよ」 「好き放題でしょう」 「……君がさせないくせに」 「するくせに」 自由でいるという生き方は、難しいものだ。これまでに考えてきたよりかも、ずっと。 と、芭蕉は思った。思っていた。 もっとも自由であるということは、考えようによってはひとつの苦痛でもあるのだ。 だから、これで良いのかもしれない。芭蕉の生き様はしあわせなものであるのかもしれない。好き放題に手綱をにぎってくる曽良がいるものだから、芭蕉という人間は決して自由ではない。孤独でもない。心臓の鼓動のようにしてやってくる苦痛は、しかし永遠ではない。苦痛ばかりでも、ない。 曽良がここにいるものだから。 (……だなんて。絶対に思ってやるもんか) 「芭蕉さん」 「なんだよ」 「念のために言っておきますが、『させない』のはいつだって芭蕉さんの方なんですよ」 「そんなわけないよ」 「なかったんですか。自覚」 「曽良くんこそ。自覚はないの?」 「芭蕉さんには、そんなことを問う資格がありません」 (……おかげだとか。絶対に思ってやるもんか、ムカつくんだから!) 自由でいるという生き方は、難しいものだ。けれども自由になるだけ、それだけのことであれば、容易いのかもしれないとふたりは思う。思っている。 両手を放して離れてしまって、あとは意識から追い出してしまえば、きっといつでも自由になれる。きっと容易いのに違いない。 「曽良くん。お昼におにぎり食べたい」 「僕は食欲がありません。素麺を出す店を探してください」 「おにぎり! おにぎりが出ない店だけは受け付けんぞ!」 「芭蕉さんが探してくださいね」 「曽良くんが探してよ。君、弟子だろ?」 「僕にはもう、素麺しか見えない……予定なので」 「そんな言い訳あるか!」 自由でいるという生き方は、難しいものだ。けれども自由になること、それそのものは容易いのかもしれない。もしかすれば。 本当に容易いのかどうか、ふたりは知らなかった。 ただ、手放すことなど容易いのだ、というふりをしている。 実際のところは解らない。本当に手放してしまったことも、欠片も残さず追い出してしまったことも、思い返してみれば未だになかった。道を違えようと決めたこともあったが、決めたはずであったというのに結局は元に戻ってきてしまった。 おとなげもなく腹を立て、相手の主張を跳ね返し、それでもふたりは互いを自由にしないのだ。 自由でいるという生き方は、難しいものだ。 しかし幸いなことに彼らは不自由であった。そして、不幸ではなかった。 書こうとしていたものがなかなか進まなくて、そうしているうちに関係のないネタを思いついて、そのまま小話にしてしまって、よく解らないものができあがりました…… 一緒に旅をして、ボケて、ボケ返して、暴れて、喧嘩したりもして、それでもなんだかんだで途切れないままで……と、日和の曽良くんと芭蕉さんはやっぱり好き放題に不自由を満喫している のかも知れない PR |
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