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2009 06,16 |
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曽良くんがツンデレではなく、ツンギレでもなく、ツンドラでもなく、言わばクーデレに近く、芭蕉さんに対して『完全にデレ』であったとしたら……
芭蕉さん自身、あるいは周囲から「いっそサディスト」と受け止められていようとも、当人にとっては『もうデレデレのつもり』であったとしたら…… その行為のすべてが心からの献身であったとしたら! ただ、上手く伝わっていないことに気がついていないだけなのだとしたら! という妄想をしたので、書いてみました。たたませていただいておりますが、冗談がお嫌いでなければ&お時間がありましたら……! ※ 曽芭、芭曽、どちらとも読める? 雰囲気です) ※ 曽良くんの性格が別人レベルで恐縮です 河合曽良という男は『加虐主義者なのだ』と、多々の人間がそのように考えていた。ふたり旅の道中にあって曽良ともっともよく接する立場にある、師の松尾芭蕉でさえもそのように考えていた。 しかし印象とは必ずしも保証されている事実ではない。つまるところ『加虐趣味のためだ』と感じられているすべての行為は、その実まったくもって加虐など意図してはいないのかもしれない。 当人にとっては。河合曽良という当人にとっては、それは加虐などではないのかもしれない。 どれほど明らかに暴力的な行為であっても、それを目にした他者がどのように受け取っていようとも、彼は彼自身の師に対して、常にはち切れんばかりの敬意を胸に接している。つもりである。かも、しれない。 芭蕉がボケればツッコミとして、いつ如何なる時にでも働くつもりだ。ツッコミをしてもらえないボケほど寂しくてみじめな思いを抱く生き物はないという。敬愛する師匠にそのような思いをさせるわけにはいかない。エネルギッシュな師匠に対して見劣りのないようにツッコむことは決して容易くないが、旅を始めてからはより華やかに魅せられるようにとキックのように派手な動きも盛り込んでみた。 もっとも、芭蕉の持ち味のひとつである『激突ショルダー』には敵わない。あれを目の前にする度に曽良はひどく感動して、思わず周囲の人間をつかまえ、その素晴らしさを語り出してしまうのだった。 そう、曽良という男にとって、芭蕉ほどに素晴らしい師匠はいないのだ。 だから芭蕉の俳句ノートに自分のことばかりが書かれていたら、照れくさくって「やめてくださいよ、もう」と言いながら芭蕉を小突きたくなってしまう。けれども本音ではやめてほしくないので、そのような言葉を口にはするはずもなく、ちいさな頭をそっと叩いて照れ隠しをする。髪型のためにつるりとまんまるに見える芭蕉の頭は、思わず触ってなで回してやりたくなる、曽良にとっては魅力のかたまりだった。両手でくすぐってやりたくなるような細い首筋もたまらない。 たいへん素晴らしい師匠であるから、弟子と一緒に風呂にも入ってくれる。ただし芭蕉は恥ずかしがりやで、男であるのに乳を隠そうなどとするので、曽良は毎回それに反対している。敬愛する師匠には堂々とした態度でいてほしいものだ。それで芭蕉が堂々としすぎた態度をとりだしてしまうようなこともあるのだが、そういった場合には他ならぬ曽良がフォローを入れるから構わないのだ。 そんな芭蕉がスランプのあまり、ついに何ひとつ詠めなくなってしまった時には、さすがの曽良も悲しんだ。リラックスさせようと顔に落書きをしてやっても苦しむばかりの芭蕉を見ていると、胸が痛んで仕方なかった。それでも無理に詠んでくれなどとは、とても言うことができなかった。芭蕉に対してそのような『ひどいこと』をしたくなかった。 けれども芭蕉はさすがの俳聖、曽良や誰かの助けがなくとも翌日には自力で立ち直っていたのだから、やはり素晴らしい。安堵した曽良は通りすがりの一般人のネタを拾って、秘蔵のボケである「このニセモノめ」を披露し芭蕉を祝した。芭蕉はそれに「そんなバカな」という鋭いツッコミで応えてくれた。 芭蕉という師があまりにも素晴らしく、魅力的であるからこそ、曽良にしてみれば彼のことを構いたくてたまらない。 たとえば頬にご飯粒がついていれば、当然のごとく指先でそっと取ってやりたくなる。けれどもその行為には多大なる緊張が孕まれたため、曽良は思わず失敗して、芭蕉の口に持っていこうとしたご飯粒を目玉の方に押し込みかけてしまった。このような失敗もあるものだから旅というのは恐ろしい。 いや、旅などしてはいなくとも、浮かれてしまうということは恐ろしい。家においでと招かれたときにも、あまりに嬉しくてずいぶんと我を忘れた。浮かれていたので何をやったか、何を言ったか正直いまいちよく覚えていない。しかし芭蕉がふたり旅に誘ってくれて、畏れ多いと一度は断ろうとしたものの、結局のところ同行すると頷いたことだけはよく覚えている。芭蕉のことを身の危険から守ってやりたかったし、彼と同じ景色を見て彼の句を感じ続けていられる道中というのは、結局のところ曽良にとってあまりにも魅力的であったのだ。 些細なことで喧嘩もしたが、師弟の絆の深さが勝って無事に仲直りをすることができた。スランプで上手くいかなくなった句があれば、恥ずかしいだろうから木の幹に隠してやって、ショックで足が進まなくなった彼を尾花沢まで運んでやった。 彼が毒キノコを食べてしまったときには心配でたまらず、その細い身体を振り回して必死に吐き出させようとした。幸い風流が解毒のためのキノコのことを教えてくれたので、逆に心配をかけないように「夕涼みに行くから」と誤摩化してから、すぐさま探しに走った。 「尊敬する人間の名前の、最初に『ば』の字がつくか」と問いかけられたときには、何を言っているんですかと微笑み返したくなったものだ。もちろんのこと『ま』の字がつくのに決まっている。 けれども本当は、そうではないのかも知れない。曽良は時折に己のことを疑わしく思う。 彼がうっかり川に流されたときには、透けた着物を想像しただけでなにやらおかしな気分になってきたので、頭を冷やすためにそこから離れた。昼間から宿に入ったときには、宿の主人があまりにも芭蕉を歓迎してみせるものだから、何やら心配になってきて強引に宿泊を取りやめてしまった。俳句セールを開いた際にも俳句好きの客を連れてきたのはよかったものの、その客が芭蕉の句を聞いて惚れ惚れとしてみせたものだから、今はスランプをこじらせているということにして無理矢理に帰ってもらってしまった。飽きたから俳人をやめると言われたときには、混乱で思わず海の外へでも逃げようと、ふたりで乗ることのできる丸太もしくは小枝を探した(堅実な芭蕉がイカダは少々高級に過ぎると意見してくれたので)。 つまるところ自分は師のことを、おかしな目でもって見ようとしているのかもしれない。近頃には芭蕉のことを想うと悩ましくもあり、切なくもあり、胸が苦しくなってくるのだ。その感情は旅路の足を引っ張りかねないものである。『敬愛する師』に迷惑などは決してかけたくなかったので、曽良は無表情によって冷静なふりを貫き、赤面と鼓動の高鳴りをかみ殺していた。 そこにはひとつの間違いもない。少なくとも河合曽良にとっては、間違いがない。 曽良は本気だった。常日頃から本気でもって、その敬愛を伝えているつもりであった。ただし『つもり』である以上には、例えばそれが上手くはいっていなかったとしても、その事実に気が付くことができない。 芭蕉が嘆くとすれば一番の理由はとにかく旅路の疲れなのだと思っていて、スランプのための苦しみもひどく辛いのだろうからと考えている。それこそ自分の態度が彼を脅えさせているとか、ましてや「本当に弟子をやっているつもりでいるのか」と疑われているのだとか、実のところは知る由もない。 そして、気付かずにいるのは曽良の方だけではない。当の芭蕉もまた同様であった。曽良という弟子は無愛想だしあまりにも厳しい、もしかすると元よりそういった趣味なのだろうかと思うだけは思って、実際のところを問いつめようとはしていない。まさか曽良にとってはそれが心からの献身、本物の敬い方であるのだなどと、やはり知る由もない。 どちらにも悪気はなかった。 ただ、文化が違えば常識も異なってしまうのと同じように、感覚が違っているのだ。そして言ってしまえば少々、違うに過ぎていた。どちらにも悪気はないために、どちらとも誤ってしまった方向を修正することができない。するという考えにまで至ることができない。 相手との間には上手くいかないこともある、とそれぞれが感じていても、結局のところこのふたりは互いのことを信頼している。苦難の相次ぐ旅路をふたり同行できる程度には。それだから大概のことを結局は些細であると受け止めて、今のままでもまあいいか、ほとんどは上手くいっているはずだ、と水に流してしまう。 疑問など抱かれないままだ。 事実を知れば誰もが戸惑うことになるだろう。曽良も、芭蕉も、ふたりのことをよく知っているはずの周囲の人間たちも、誰もが噛み合っていない現実に驚くことだろう。 けれども、例えばそのようなつもりがなかったとしても、痛いものは痛くて辛いものは辛いのだ。加虐は加虐であるのだという、それもまた事実だ。 ただ、誰ひとりとして噛み合いそこねているという重要な問題に気がつかず、確かめることもしなければ。その愛情は愛情として現実に続いていくのだし、ふたり旅の根本にはその成功という同一の目的があるのだから、大きすぎる矛盾も起こりえない。そうして、この先に何が起こるのか定かではないまま、彼らは旅路を日常として歩んでいく。 強いて言うなれば何よりもの事件は、もう既に起こってしまっていた。 曽良が芭蕉を想ってやまないことそのものが、何よりもの事件であって一番の始まりでもあった。 好き勝手かいたら長々と……&詰まってしまいました もうパラレルだこれ PR |
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