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2009 05,06 |
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風に揺れ 花は静かに枯れている
応えない どうして枯れてしまったか 答えない どうして枯れてしまうのか こたえない 花は言葉を喋らない かつてには どんな姿をしていたか 今日でなく 昨日であるなら 見られたか 「咲いても枯れても、花は花でしょう。そこに在る限りは」 「じゃあ、もっと強い風がふいて吹っ飛ばされちゃったら?」 「そのときは吹っ飛ばされた花ですね。よく考えてみてください、芭蕉さんのその縫いぐるみだって……どんなに裂けようが綿でしょう」 「マーフィーくんだよ! マーフィーくんの命を粗末にすんな!」 「綿は無機物です」 縫いぐるみ 傷のつけども枯れはせず 視界には 枯れてしまった花が在る 「枯れない花はありません」 またいつか ここに結ばれる日もあるか 翌年に この地に育つ芽があるか 「来年のことなど。来てみなければ解りません」 それならば。翌年、ここに、来ればいい。 「芭蕉さん、いつまでそこにしゃがみこんでいるつもりですか。あまり暢気でいるようだと、この旅ですら終わりませんよ」 「たいしたことないだろ! このくらい……」 今ここで 花は静かに枯れている 年明けて 静かにどうしているものか 「……ねぇ曽良くん。いつかはここに、また来よう」 風に揺れ、揺らされ華の、無常なり。 字余りが多い お昼頃に、雨にも負けねえ! という勢いでどこかへお出かけしようかと思ったところ留守番を任されてしまいました……それから電話して音楽を聴いて家事をやってお風呂に入って、あっという間に夕方〜夜って 一日短い! そしてネタを妄想した後に知ったのですが、 (※ 以下に史実関連の話題が入ります。恐縮ながら、しんみり気味です。 また、自分のための覚え書きも兼ねております。皆様ご存知の内容も含まれるかと思われますが、お見捨ておきいただければ幸いです) 芭蕉さんが大坂歌舞伎を見に行った翌日に、その舞台に出演していた若衆役者さんが亡くなられてしまったのだそうです。彼が亡くなったと知った芭蕉さんは、『花あやめ一夜に枯れし求馬哉(あやめのように美しかった彼であるが、今日のあやめも見ずに亡くなってしまった)』と詠んでいます。元禄元年の昨日にあたる日、5月5月のことなんだそうです。 また、元禄4年のころ最後に江戸へ帰還した際、『ともかくもならでや雪の枯尾花(何ともならずにここへ戻ってきた。雪に埋もれた枯れ尾花のごとく、息絶えてはいないのだ』とも詠んでいると伺います。 更には上記のふたつよりも以前の時期になりますが、ふたつ目の芭蕉庵ができた際には(ひとつ目の芭蕉庵は火事で焼けてしまったもの。ふたつ目の芭蕉庵が、細道の旅の際に引き払ったもの=日和にも登場(俳句ワールド))自分自身を枯れ葉に例えて『霰(あられ)聞くやこの身は元の古柏(外ではあられが柏の葉を打っている。庵は新しくなったものの、私は相変わらずのままである。枯れても落葉しない柏の葉のごとく、代わり映えのない。寂しいものだ)』とも詠んでいます。 芭蕉さんの句について考えるとき、どうしても無常であるということに関してを一緒に思い浮かべてしまうため、切ない気持ちになってまいります。日和における芭蕉さんにも、その日その日を全力で過ごしているというイメージのあるところがまた……げ、元気が一番! ガンバレ本当にありがとうございます! PR |
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